近代を巡る 時を刻む赤れんが
赤れんが倉庫群 旧海軍が築いた、美しい赤れんがの風景。
明治33年から大正10年頃までに建てられた多くの赤れんが倉庫。市民が再生した当時の道は現在、赤れんがロードと呼ばれ、時代を感じさせる美しい風景が広がっています。
魚雷庫、倉庫など旧海軍関連の施設をはじめ トンネルや橋脚などの生活基盤まで、舞鶴では日本が近代化を進めていくための礎としてさまざまな赤れんが建造物がつくられました。それから100年余りの時を経た今もなお舞鶴にはその近代化遺産が数多く残され、当時の「ハイカラ」を感じさせるまちなみが続きます。
明治・大正の浪漫が薫るロマンティック・ストリート
青い海が広がる舞鶴港ウォーターフロント(旧海軍舞鶴鎮守府一帯)。その一角を赤く染めあげ、美しいコントラストを見せる場所があります。それが「赤れんが倉庫群」と呼ばれているエリアです。このエリアには1901年(明治34年)の舞鶴鎮守府開庁にあわせて多くの赤れんがづくりの海軍倉庫が集中して建てられ、今も12棟が残っています。この「赤れんが倉庫群」と呼ばれるエリア以外にも、舞鶴東地区には官舎や造船所など、さまざまな旧海軍施設が点在しており、まるで明治時代にタイムスリップしたかのような、レトロでロマンティックなまちなみが続きます。夜、ライトアップされた赤れんがや、雪が積もる絵本の世界のような赤れんがなど、時間や季節によってさまざまな表情が楽しめるのも舞鶴ならではの特長です。近年では、ジャズのライブイベントやアートスペースとしての活用など、歴史遺産としてだけではなく、独自の世界観を持った空間としての価値に注目が集まっています。
赤れんが博物館
現存する日本最古級の鉄骨れんが建造物
明治36年に建設された魚雷庫を活用。現存する鉄骨れんが造りの建物としてたいへん貴重なもので、国の重要文化財の一棟。館内ではれんがの歴史、世界各国のれんがなどを展示しています。
営業時間 | 9:00~17:00 |
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お問い合わせ | 0773-66-1095 |
まいづる智恵蔵
明治後期の雰囲気が忠実に再現された舞鶴の宝蔵
明治35年に建てられた赤れんが倉庫をそのまま利用した展示エリア。瓦屋根や木枠ガラス窓なども当時の設計図を基に忠実に復元しています。
営業時間 | 9:00~17:00 |
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お問い合わせ | 0773-66-1035 |
舞鶴市政記念館
アート・展示スペースとして、旧海軍倉庫をリニューアル
国の重要文化財にも指定されている倉庫群内に建つ記念館。明治35年の建設当時は旧海軍兵器廠予備艦兵器庫でしたが、今は展示スペースやホール、喫茶コーナーを備え、人々の交流の場となっています。
営業時間 | 9:00~22:00 |
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お問い合わせ | 0773-66-1096 |
歴史を学び、未来を見つめるコミュニケーションスペース
鎮守府開庁から100年余りの時を経た現在、倉庫のいくつかは改修され、博物館や記念館として新たな命を吹き込まれ、現代によみがえっています。そのなかでも「旧海軍兵器廠予備艦兵器庫」だった「舞鶴市政記念館」は、現在では展示スペースなどとして使われているほか、舞鶴の歴史を紹介するコーナーも有しています。ほかにも、鉄骨れんが造りとしては日本最古級の建造物として知られる「旧海軍兵器廠魚形水雷庫」は「赤れんが博物館」として再生。さらに「旧海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫」は「まいづる智恵蔵」として再生、縄文丸木舟の実物や当時の中舞鶴線の鉄道模型などを展示し、舞鶴の歴史ギャラリーへとその姿を変えて、舞鶴市民に親しまれています。
舞鶴なるほどコラム
舞鶴からうまれた「友情のメダル」
昭和11年のベルリン五輪で、舞鶴出身の棒高跳び選手・大江季雄が銅メダルを獲得。そして先輩の西田修平が銀メダルを獲得しました。そのメダルを互いに真ん中で半分に切断。ふたつをつなぎあわせてつくった、いわゆる「友情メダル」の資料も「舞鶴市政記念館」に常設展示されています。
赤れんがアート&クラフトフェスタ in 舞鶴
クラフト展示やグルメなど、舞鶴ならではのイベントいっぱいの2日間
秋に開催される赤れんが倉庫群を活用したイベント。舞鶴の特産品を食べられるグルメコーナー、アートやクラフト作品の展示などが行われ、多くの人で賑わいます。
お問い合わせ | 0773-66-1019 (舞鶴市) |
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MYベストれんが道
舞鶴に数多く残る赤れんがの風景。トンネルや橋を中心に、日本が近代化する上で整備された生活基盤施設などが120件以上も存在し、市内のいたるところで目にすることができます。文明開化から戦前・戦後と日本の近代化をささえてきたこれらの施設は、まさに日本の発展の足跡だった、というわけです。
建造物
新しい時代をつくるという希望に満ちた舞鶴の人々の熱気が近代日本の点景を築きました。
鉄道の橋梁からまちをつなぐ道路の橋脚まで、当時欠かせない生活基盤だった赤れんがづくりの橋。近年ほとんどが現役を退いているなか、鉄道ファンの間で評判の高い橋梁などもあり、全国からその姿を求めて訪れる人も少なくないといいます。
建部山砲台跡
明治34年(1901年)の海軍舞鶴鎮守府の開庁により、舞鶴湾は、日本で第4番目、日本海側で初めて軍港として開港しました。
建部山堡塁砲台は、由良川を見下ろす建部山の山頂に建造されたもので、ここに設置されていた大砲は12センチカノン砲が4門で、れんが造りの弾薬庫が5室、コンクリート造りの砲側庫が3室あります。これらはコンクリートと土塁で覆われ、地形を巧みに利用して外部から発見されていくように工夫されています。
神崎ホフマン窯
れんが製造のために建造された窯。連続焼成が可能なホフマン窯は、現在日本で4基しか残っていない貴重な産業遺産で、国の登録有形文化財にも登録されています。
ユニバーサル造船
かつては海軍工廠として駆逐艦などを建造していました。工場の敷地内には数多くの近代遺産が残っており、いずれも工場や倉庫等として現役で使用されています。
旧北吸浄水場配水池
明治34年から大正期にかけて旧海軍の水道施設が建設されてきました。アーチ状にれんがが積まれているなど、意匠的にも貴重で、国の重要文化財に指定されています。現在は倉庫として活用しています。
旧舞鶴税務署及び文書倉庫
大正末期に舞鶴税務署として建設。その後、図書館、舞鶴西商工会館として使用されました。当時の面影をそのままに、今も存在感ある風貌を見ることができます。
橋脚
西から東へ、北から南へ。人を乗せ、物を運んだ100年は日本の成長を見つめた時代でした。
鉄道の橋梁からまちをつなぐ道路の橋脚まで、今も昔も生活に欠かせない橋。明治時代に造られた赤れんがを用いた橋は、近年その姿を消しつつありますが、舞鶴市内ではいまだ現役で活躍しています。貴重な赤れんがの橋の姿を求めて、鉄道ファンをはじめ全国から訪れる人もすくなくないといいます。
第四伊佐津川橋梁
溝橋(真倉、一本杉踏切近く)
第五伊佐津川橋梁(真倉、伊佐津川)
橋梁(円満寺、アーチ)
トンネル
トンネルの向こうに未来を求めて。山を越え、海を渡り時代の光をつないできました。
「舞鶴線」と「軍港引込線」(後の中舞鶴線)は、舞鶴鎮守府への資材輸送を主な目的として設営された鉄道路線。これらの鉄道は山間部を通るため、数多くのトンネルが建設されました。なかでも「北吸トンネル」は、国の登録有形文化財に登録されています。
北吸トンネル
明治37年建設。トンネルの坑門や側壁は、れんがの長辺と短辺を交互に積み上げるイギリス積みが用いられています。当時は鉄道が走っており、海軍施設の物資運搬などに使用されていました。現在は自転車・歩行者道路として活用。美しいアーチ型のトンネルをくぐれば、当時のノスタルジックな世界を味わうことができます。清道トンネル
白鳥トンネル
第一真倉トンネル