海軍グルメ物語
120年の歴史の中で培われた智恵と工夫、文化は、軍事力の強化という目的のほかにも、現在の平和な時代にも通じるものが多くあります。中でも「海軍食」は、強い身体を作るための健康食として、また、閉鎖的な船の中での数少ない癒しとしての発展をみせました。
限られた環境の中で、当時まだ珍しかった洋食を積極的に取り入れたり、艦船ごとに独自のアレンジを許して現場の工夫を引き出すなどの取組みは、非常に興味深いものがあります。
ここでは、それらの中から特に舞鶴に関係の深い、海軍グルメの物語をご紹介します。
海軍カレー
明治時代、大日本帝国海軍における病死数で最大原因となっていたのが脚気(かっけ)です。これに対して海軍軍医の高木兼寛は、長期にわたる洋上任務の艦内などにおいて、副食が不十分で栄養が偏った白米中心のバランスが悪い食事が原因であろうと考え、同盟国である英国海軍を参考にしつつ、糧食の改善を科学実験的に試み、バランスの良い食事への改善が図られました。
そんな中、英国海軍で採用されていたカレーが、肉と野菜の両方がとれて栄養バランスが良いことや、調理が簡単で大量に作れること、そして何よりおいしいという理由から日本の海軍でも採用されることとなり、海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載し、全国の海軍内にカレーが普及していきました。
その伝統は、海上自衛隊にも引き継がれ、今では金曜日の定番メニューとなっています。同じ曜日に同じメニューを食べることで、長い海上勤務中に曜日感覚をなくさないようにするためでもあります。
肉じゃが
1901年 海軍舞鶴鎮守府初代司令長官として赴任した東郷平八郎は、23歳から30歳までの7年間、英国に留学し国際法などを学びました。その際、英国で食べたビーフシチューの味が忘れられず、舞鶴鎮守府の部下に命じて作らせました。
しかし、当時の日本には英国のようなワインもデミグラスソースもなく、料理人が、醤油と砂糖で味付けをして作りました。できあがった食べ物はビーフシチューとは全く異なるものでしたが、食べたらとてもおいしく、それを食べた水兵さんたちはぐんぐん元気になっていきました。
冷蔵などの貯蔵技術のない当時は長い航海の間はビタミン不足で脚気や壊血病でたおれる水兵さんが少なくなかったのです。おいしく栄養価の高い肉じゃがは、艦上食として全国に広まり、やがて各家庭に伝えられ「おふくろの味」として定着していきました。
海軍ラムネ
「ラムネ」という名称は、英語の「レモネード」が訛って、海軍に伝わったと言われています。
かつて大航海時代に、長期航海中の船員達は壊血病(ビタミンCの欠乏から発症する病気)に悩まされ、長年に渡って深刻な問題となっていました。これに対して1747年、英国人医師のジェームス・リンド氏が様々な食物による比較実験を行い、その結果、柑橘類が予防に効果があることを発見します。
これを受けて英国海軍は水兵に柑橘類を与えることとしますが、中でもレモンを効果的に摂取する方法の一つとして開発した、艦船の消火設備の炭酸ガス発生装置を活用し誕生したレモン入り炭酸水で、「レモネード」の名前で特に水兵の嗜好品として定着していきました。
その後レモネードは、ペリーを始めとする外国の海軍によって日本にもたらされますが、その際「レモネード」の発音が日本人には「ラムネ」に聞こえて、ラムネとして拡がっていったという説もあります。